生い立ちから大学まで ※努力の学生生活
誕生
猪俣明伸は1984年(昭和59年)、河沼郡会津坂下町で男3人兄弟の末っ子として生まれました。
実家が本屋を営んでいたため、幼いころから本を読むことが好きでした。
小学校の課外活動は主に、水泳、ソフトボール、ピアノを行ってました。
中学校時代
中学校時代は、生徒会長として、より良い学校環境作りを生徒のリーダーとして取り組みました。
この時「皆のために働き、快適な環境を作ることはやりがいがあり、素晴らしいことである。
将来は皆のために動ける政治家になりたい」と思うようになりました。
高校時代
高校での部活は剣舞委員会に所属し、白虎隊士の慰霊のため活動しました。
早稲田大学に入ること目標に、人の2倍~3倍以上必死に勉強をして受験に望みました。
飯盛山 剣舞奉納時
大学時代
大学は、早稲田大学政治経済学部に進学しました。
政治学を学ぶ一方で、アルバイト代をため、夏春休みにバックパッカーとしてアジア、インド、中東及びアフリカを
貧乏旅行し、世界の現状を肌で感じてきました。
日本は経済が強いため、発展途上国とは比べ物にならないほど素晴らしい生活を送っていました。
「よりよい日本を作るには、政治だけではなく、強い経済を作れるよう、企業経営も学ばなければいけない」 と考えるようになりました。
社会人時代
大学卒業後
大学卒業後、羽田空港旅客ターミナルビル運営会社である日本空港ビルデング(株)に就職しま した。新入社員から約2年間、免税店での販売業務を行いました。24時間シフト勤務体制の 大変さ、シフトの煩雑さ、クレーム対応の難しさ、仕入れ及び入金業務及び人員管理等の大変さ を経験しました。
管理業務
その後、事務職に異動となり、総務・人事、経理業務を約4年間行いました。花形ではなく、 単純作業も多く長時間労働でしたが、企業の根幹となる、管理部の仕事に携わり、バックオ フィス業務の大切さを実感しました。
28歳の時
28歳の時、日頃からの学ぶ姿勢が評価され、上司の推薦により、会社費用で一橋大学大学院 商学研究科(MBA)に2年間国内留学しました。この2年間で「知識より、自分の頭で考える 力がつきました。不確実で答えのない社会で前に進んでいくためには、究極的には自分の頭で 考えるしかない、という一橋の考えを叩きこまされました」。
新ウランバートル国際空港開港 部内写真
新ウランバートル国際空港開港での活動写真
MBA修了後
MBA修了後は、約5年間、海外事業を担当することになり、アジア、欧米、中東と世界の空港 案件に携わりました。特に、モンゴル、ロシア、インドネシア及びパラオ案件に注力しました。 官邸、国土交通省、外務省及びJICA等と毎日深夜まで仕事するようになりました。その際に、 国の仕事のやり方に疑問を覚えるようになりました。 「役人は、他者や民間のことより、自分たちの立場維持を第一に考えている。 効率的で正しい判断・行動ができていない。民間を分かっている、まっとうな政治家が必要ではないか」、と思うようになりました。
35歳の時
35歳の時、日本のODAで建設された新ウランバートル国際空港の立ち上げ業務を行うため、 モンゴル国駐在になりました。 上司の推薦により、旅客ターミナル部部長として最年少役員という異例の大抜擢でした。 異国での、日本語以外で仕事をする大変さを経験しました。 連日深夜まで仕事を行い、経験したことのない仕事量と質で非常に疲れましたが、 なんとか無事に空港オープンを成し遂げました。 「不正・賄賂があたり前の国でありますが、徹底的に公正・公平 を貫いてきました。様々な脅しにも合い、何度も気持ちが折れそう になりましたが、私の姿勢を見て、多くのモンゴル人が日本人を 信頼するようになったと思います」
会津での活動
2018年から
2018年から、会津の人口減少問題に取り組み、会津に住む人が増えるように、
首都圏並みの収入の得れる仕事を自分たちで作っていくプロジェクトを始めました。
第一弾として、えごま油を作りました。
高品質な会津ブランドを作り、首都圏や世界で販売して利益を上げ、
地域に還元するという本プロジェクトは、ハーク(株)に引き継がれ現在も続いております。
えごま苗植え 仲間達と
福島県議会議員選挙で初当選
2023年11月、福島県議会議員選挙(河沼郡選挙区)に立候補し、
5646票を獲得し当選させていただきました!
未来を明るいものにするために、全身全霊で仕事に取り組んでおります。
福島県議会議員選挙で初当選時